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月別アーカイブ: 2015年2月
屋久島エレジー
「波風あらき屋久の島 通ふ汽船は数あれど 主さんのせたあの船は ぶじに鹿児島つけばよい」
戦争で出征する青年を送り出した青春の詩で、生と死、愛と別離を歌った哀調「屋久島エレジー」。この歌碑が永田集落海岸の松林に今も建っている。太平洋と東シナ海に囲まれた屋久島はかつて、鹿児島までの交通手段は船だけに限られた。荒れ狂う海を前に出征と船の無事を、複雑な気持ちで送り出した家族の心情はおしはかることができない。時代は変わっても島に住むがゆえ、切なくも新しい門出を祝い、船で送り出す光景は今でも続いています。
台風などの荒れ狂う海を恐れ、豪雨による災害で水の怖さを知り、貧しさの中で揺れ動く不安と自然界の脅威。また、過去には山の鳴動と疫病を恐れ、人々はいたたまれぬ心中で神に助けを求めた。それがのちの山岳信仰につながっていくのです……。
写真集に向けて原稿書きに追われる日々。屋久島に住む者としてどう伝えるか、毎日が葛藤です。
雲行き
昨夜降っていた雨は止んで、屋久島の東側は朝から晴れた。昼前、西部まで行く予定で車を走らせる。時期的にもうアオモジの花が咲いているかなと思い、安房から県道をしばらく走り、高平でハンドルを山手側にきって農道に入った。昨年も農道横で咲いていた花を撮ったので、今年も、と思い低速で走りながらアオモジの木を探した。木は10分もしないうちに見つけたものの、窓越しに枝を見ると、まだ蕾の状態で、開花まであと2週間ぐらいかかるかな、と思われるものばかりで、咲いていなかった。仕方なくまた車を走らせていると、道横につわぶきの綿毛がたくさんあることに気づいた。昨年、秋から初冬まで咲いていた黄色い花ビラは、全部落ちてしまい、丸い綿毛になっていた。進む先のちょっと広くなった道横に、つわぶきが群生して、綿毛が多く付いているものがあったので、その近くに車を停めた。カメラを手に持って車から降り、つわぶきの近くまで寄って、綿毛を見ていたら、風に吹かれて何本かが同じ風下に飛んだ。スーッっと速く飛んで行くのもあれば、ふわふわとゆっくり飛んで行くものもあった。風の強弱によって飛び方が違い、距離も違った。すべては風任せ。鳥や動物によって運ばれたものを除くと、あまり遠くまで飛ぶことがないのか、近くに着地して、発芽すると狭い範囲で殖えていくようだ。(それとは別に、土の中にある茎だけでも繁殖できると書物にはある)風が止むのを待って、きれいな綿毛を数カットだけカメラにおさめる。周りを見てもアオモジの木は無かったので、諦めて車に乗り込んでだ。農道はもうすぐ県道と合流する所まで来ていたこともあり、5分ぐらいで県道に出た。尾之間集落のAコープで買い物を済ませ、小島集落まで行くと、先日見たヒマワリが目の前に飛び込んでくる。冬だというのに季節はずれのヒマワリが、段々畑で咲き誇って、相変わらずきれいだ。先日も撮ったけど、また撮ってしまった。やはり撮らずにはいられない魅力があるかもしれない。しばらくたって、小島の隣にある平内集落まで行くと天気は一変。北西の風が小雨を連れてきた。空全体は灰色で低空に点在する薄黒い雲が、少しだけ速く北西から南東側に流れている。この雲が雨を降らせ、通りすぎるとぴたっと止んで、またくると降りだすという安定しない天気。県道沿いのお店で缶コーヒーを買おうと、自動販売機の前に車を止めて降りた瞬間、わずかに硫黄の臭いを鼻で感じた。近くに温泉があるはずもなく、なぜこの臭いがするのか、考えることも無くすぐにわかった。屋久島の西方12kmに位置する口永良部島(くちのえらぶじま:屋久島の一部)が昨年の8月、34年ぶりに噴火して、全国ニュースでも流され話題になった。地元でも大騒ぎになったが、今は治まっている。しかし、ある程度の噴煙(一概に言えない)がまだ出ているので、その噴煙が北西の風で運ばれ、屋久島の南西方面まで臭いをもたらしているというものだった。今まで冬にこの臭いを、北西の風が当たる所で感じることは無かったのに、今年初めて臭ったということは、噴火前に比べて噴煙が多くなったからではないかと思う。車は大川の滝を過ぎて、西部林道の幅員が狭くなった所で停め、降りてみるも雨で視界が悪く、撮影どころではない状態だった。急いで車に乗り込み、そこでUターンして走りながら口永良部島を見ると、島の上半分が雲に隠れて噴煙の流れは、わからなかった。時間は夕方近くになっていたので撮影は諦め、どこにも寄らずそのまま帰った。=30日、写真/モッチョム岳と雲、小島から