7日夕方、屋久島の各集落で年始恒例の鬼火焚き(おにびたき)が行われた。
鬼火焚きは、正月用の飾りなどを集めて海岸や広場で焼く火祭りで、鬼(悪霊)を追い払い健康を祈願するという意味がこめられている。この日、原集落では鬼火焚きの前、原益救神社に古くから伝わる『原ごちょう踊り』(集落の大人と子供、20数名が踊る)を奉納し、その後歩いて、鉦(かね)や太鼓を鳴らしながら集落の港に移動。鬼火焚きで港海岸に集まった人たちにも踊りを披露した。本来、原ごちょう踊りは旧暦の6月15日の祇園大祭で、無病息災・五穀豊穣を祈願して原益救神社に奉納しているが、正月も特別に行っている。踊りが終わった後、竹やハマガシ(海岸の樫の木)で作った柱に、今年5歳になる(毎年5歳の子供)集落の子供5名が火入れをして鬼火焚きが始まった。燃え盛る炎の中に、予め用意していた「ハマガシの木と枝葉をかずらで小さく縛ったものを自分で入れ、火が付いたら引きずり出し、火が消えたそのハマガシを家に持ち帰り、玄関や勝手口に吊るすと一年間厄除けになるといわれている」。そのため、集まった人たちは次から次に、火に入れ、消えたものを持ち帰っていた。鬼火焚きは柱の先に鬼の顔を描いた絵を付けていて、それが燃えると縁起がいいとされている……が、…今年は燃えずに柱は引き倒されてしまった。「こまったもんだ!後で反省会っ!」と関係者は笑いながら嘆いていた。(みんなで焼酎を飲む、一つの口実的なもの)
鬼火焚きが終わると、集落の子供達や青年団の小グループが集落の家を一軒一軒周り、玄関先で縁起ものとして、無病息災・商売繁盛などの願いを込めた「祝いもうそう」(屋久島の全集落共通、歌詞は異なる)の唄を謡い、お礼にお金やお菓子をもらって帰るという、昔からの風習になっている「門回り」が行われ、七草の一日が終わる。
都会に出て、帰省している間に行われる一足早い成人式、消防団の出初式、鬼火焚き、それらの正月行事が終わると、屋久島の一年が始まるのです。
写真=7日、原集落港海岸
※お詫び……「祝いもうそう」は全集落共通と記しましたが、いくつかの集落は廃止しているようです。(後日記載)