「波風あらき屋久の島 通ふ汽船は数あれど 主さんのせたあの船は ぶじに鹿児島つけばよい」
戦争で出征する青年を送り出した青春の詩で、生と死、愛と別離を歌った哀調「屋久島エレジー」。この歌碑が永田集落海岸の松林に今も建っている。太平洋と東シナ海に囲まれた屋久島はかつて、鹿児島までの交通手段は船だけに限られた。荒れ狂う海を前に出征と船の無事を、複雑な気持ちで送り出した家族の心情はおしはかることができない。時代は変わっても島に住むがゆえ、切なくも新しい門出を祝い、船で送り出す光景は今でも続いています。
台風などの荒れ狂う海を恐れ、豪雨による災害で水の怖さを知り、貧しさの中で揺れ動く不安と自然界の脅威。また、過去には山の鳴動と疫病を恐れ、人々はいたたまれぬ心中で神に助けを求めた。それがのちの山岳信仰につながっていくのです……。
写真集に向けて原稿書きに追われる日々。屋久島に住む者としてどう伝えるか、毎日が葛藤です。