屋久島の歩道

s-IMG_0033江戸時代から使われている楠川歩道。白谷雲水峡内の一部は人が来なくてとても静かです。楠川集落まで続くこの道は、江戸時代に集落民が屋久杉を伐る作業と、年貢として納める屋久杉材の搬出に使っていた。また、途中までは楠川前岳に祀られている「一品法寿大権現」の参拝道にもなっている。かつて、わらじと着物姿で屋久杉の平木を背負ったこの道。時代は変わって、わらじが登山靴になり背負う物がリュックに替わり、登山として苔の森に癒されている。神の領域としてむやみに入ることは無かった森。神木として敬った屋久杉をやむなく殺め、平木に加工してそれを背負って山を下りる時、苔の森はどう映っただろうか?。厳しい肉体労働を課せられた人々にとって、おそらく心の余裕すらなかったのではないだろうか。屋久島の山々に現存する道は、生活のために造られた道、岳参りの道。レジャー目的で造られた訳ではないので「歩道」という言い方をしています。道横の岩に腰を下ろして、歩いてきた道をじっと見ていると、屋久杉に入れるヨキ(斧)の音、平木を背負って歩く人の荒い息が聞こえたような気がした。=8日、楠川歩道

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