照葉樹の新緑始まる
里地から前岳まで照葉樹の新緑が本格的に広がってきた。写真=14日、鯛乃川、西部瀬切
フデリンドウ
西部の林床には高さ2㎝ほどのフデリンドウが咲いていた。毒があるのか?鹿に食べられず、毎年同じ場所で咲いている。写真=14日、西部
退役まじか
平成9年6月から23年間就航した屋久島町営船「フェリー太陽」が今月24日まで運航され、老朽化のため退役する。観光客にはあまりなじみがないかもしれないが、毎日奇数日と偶数日で出港時間が違って、屋久島=口永良部島、屋久島=種子島の島間港を航行して町民の足として働いてくれた。自分も2018年、NHKの8kタイムラプス撮影で種子島から屋久島を撮る時に往復10回お世話になった。また、口永良部島(屋久島町)の噴火の際は島民を避難させるため臨時に運行されるなど活躍した。そして、同じ航路を26日から就航予定の新造船「フェリー太陽Ⅱ」(4代目)が引き継ぐ。尚、フェリー太陽は売却されるという。写真=13日、火ノ上山埠頭(宮之浦新港)
散り際
春本番を迎える前に、散り際を知っているリンゴ椿の花。
あの日を忘れない
2011年3月11日午後2時46分に起きた未曽有の東日本大震災は今年で10年になる。
これまでに確認された死者と行方不明者は1万8425人、また、避難生活などで亡くなった「震災関連死」は3700人以上で、「関連死」を含めた死者と行方不明者は2万2200人にのぼる。(NHKニュースより)
それと、先日宮城県東松島市で発見されたご遺体が、震災で行方不明になっていた女性(61歳)だったことが判明したと、ニュースにもなった。10年ぶりに発見され、ご遺族の元に帰られたのでしょうか?。中には家族全員が亡くなるという悲惨な状況もあるだけに、遺族の元に帰られたことを願うばかりです。
10年たってもまだ復興は終わらず、行方不明者の捜索もまだ続いているようです。一日でも早く見つかって家族の元へ帰られることを祈っています。また、捜索されている各団体の皆さまのご苦労もお察し申し上げます。
あの日は自宅でテレビに釘付けになり、どのチャンネルも津波の状況を生中継していた。津波の映像を生まれて初めて見て、その凄さと怖さを知った。こんなことが起きるのか?信じられない!という心境だった。その場にいた人々はもっとリアルに感じたのかもしれない。その日の夕方、ローカルテレビニュースによると、屋久島も1mの津波が到達したと報じていた。いかに津波が怖いものかを思い知らされた。
もうあのような震災は起きてほしくないと思いつつも、今後30年以内に起こるとされる南海トラフ地震が大いに懸念される。東海から九州まで甚大な被害が予想され、東日本大震災の比ではないと言われている。助かるためには、それに備える心と行動が必要だと思うが、いつ、何時ごろ、昼、夜と、わからないのが現状で、いざそうなった場合果たしてうまくいくだろうか。祈るしかないような気がする。
地震大国日本。地震の発生率は世界4位と言われている。そのほかにも大規模な自然災害が毎年起きている。
火山大国鹿児島県。鹿児島県は活火山の内、桜島、新燃岳、口永良部島、諏訪之瀬島、薩摩硫黄島がここ6年以内に大なり小なりの噴火を繰り返している。とりわけ懸念されているのが「桜島」。大正大噴火から100年になり、今後また大噴火が起きるのではないかと言われている。そのため、桜島の近くに住む人たちの避難訓練が毎年行われている。
台風や大雨は今技術が進み予報でわかるようになった。地震もせめて1時間前に予知できるようになれば、少なくとも人の命は助かることができる。これは研究者の努力に頼るしかない。
人は台風、豪雨、地震など自然の猛威に立ち向かうことはできない。唯一できることは逃げること、避難することが命を守ることになる。
あれから10年、残された家族は「今日で終わるわけではない」、「今日は悲しい日」、「一区切り」(NHKニュース)など、それぞれの思いで今日を迎えた。
被災された皆様にお見舞い申し上げます。また、原発事故で帰還困難区域の方々が早く元の場所に帰れますように。まだ行方不明になっている方が一日でも早く家族の元に帰れますように。そして、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
「3.11、あの日起きたことは絶対に忘れない」
雨も続かず晴れも
昨日は一日雨。今日は朝から晴れ、明日までもつ予報。明後日からまた雨。一雨ごとに気温が上がり春本番も近い。写真=10日朝、長峰
緑一色に
江戸時代に伐られた屋久杉の切り株にびっしりとついた苔。
陽が当たれば
小さな切り株の中で育つバリバリの木。陽が当たればどんなところでも生きれる。
倒れても
倒れても光を求めてまた復活します。