「温故知新」明治を触る

DSCF3764sDSCF3778s明治30年から100年以上も明りを灯し続けている屋久島灯台(永田岬)。

この灯台の建設には大変な苦労があったようだ。灯台手前の左下海岸には船着場(荷降場)があり、そこから人力で、岩の斜面に作られた階段を上りレンガやセメントなどの建設資材のほか、灯台の機材を運んだという。かつては灯台を維持、管理する灯台守(とうだいもり:海上保安庁職員)が近くの宿舎に住んでいて、有人灯台だったが、昭和60年代後半無人灯台になった。江戸時代、山から屋久杉の平木を背負って運んだ苦労。先人達が一人一人触ったであろう「物」を見るだけではなく、同じように触って時代を感じることが大事だと思う。江戸時代に伐られた屋久杉の切り株、明治時代の赤レンガ、大正時代からの森林軌道(トロッコ)など、歴史が詰った屋久島。記録も忘れてはならない。

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