月別アーカイブ: 2012年12月

雪の中に

車道脇の岩場にはツララ。  雪の中には、わずか2cmのキノコ。    ※写真をクリックすると拡大して見れます

冬の便り

今年一番の寒気団。屋久島の山も2、3日前から標高1400m以上で積雪があったようだ。今日の昼前、里地での最高気温は10℃以下。安房から淀川登山口(標高1360m)に向けて車を走らせると、ヤクスギランド(標高1000m)を過ぎたあたりから、小雨が小雪に変わり紀元杉まで来ると車の外気温度計は0℃まで下がった。車道脇にはちらほら積雪がみられたが、凍結もなく登山口に着くことができた。 写真=10日、ヤクスギランドから太忠岳方面

共生するもの

屋久島では植物の北限種と南限種が混在する。

空からの音楽

見ることから始まる

川の流れが鈍く光る。

見たことも無い世界に引き込むことも、写真の醍醐味だけど、実はなにげない日常の場でも見方を変えれば、いろんな発見がある。

どんな些細な事でも、たわいもない事でも「見ること!」から始まる。そこに何かのヒントを得るときもある。見たもの、感じたものをただ直に切り取ればいい。

かまえて撮る行為の前に、「しっかり見ること」そこから作品が生まれると信じるから。

それと撮影心情は「迷ったら撮る」通り過ぎたら、引き返してでも撮る。

後で後悔しないために……。

写真展「神々からの伝言」

現在開催中の堀江重郎写真展「神々からの伝言」-屋久島-(屋久島・ツアーガイド旅樂ギャラリー)は展示が今月末までとなりました。10月5日より始まった写真展ですが、開催初日からたくさんの皆様がご来場下さいましてありがとうございます。「写真展だけを観に来ました」と、遠方よりわざわざ来島された数名の方々には頭が下がりました。謹んでお礼申し上げます。

作品「神々からの伝言」は、屋久島の伝統文化で500年前から続いている山岳信仰「岳参り」から始まる壮大な物語で、山や森と関わり、里で暮らす人々に「神々は何を伝えたっかたのか?」を500年前から現在まで、時の流れを想像しながら切り取った「山・森・水・人」のドキュメンタリー作品です。10年以上の歳月をかけて撮影した作品群(セレクトした3万カット)から、ほんの一部を展示しています。

写真展は今回新たに、全紙サイズ4点、半切サイズ10点、昨年屋久島町原・nomado  cafe  galleryで開催した作品の中から、六つ切・四つ切の16点も追加して計30点を展示しました。

今月末までです、是非お立ち寄り下さい。 尚、ご来場の際は記帳簿に住所、氏名をご記入くださいます様お願いいたします。(次回、開催時のご案内をさせて頂きます)

AM 11:00~PM 6:00 月曜日休館

写真=『海へ帰る』 雨や苔の雫が急峻な山を駆け下り、大川になって母なる海に帰る。山の水は海の生き物にも大量のプランクトンを与え、生命の循環が始まり、水温が高い海水は蒸発して雲を作り、雨となってまた森に返す。命のつながりは全て水によって行われる。山で神として祀る「一品法寿」は「一品宝珠」と同じ意味合いを持つ。時にはいきもののように見えることがある。(写真展、展示写真解説小冊子より)

原点に戻るということ

写真の原点はモノクロフィルムだ。デジタルカメラ全盛の時代になって、カラーフィルムやモノクロフィルムで写真を撮る人が大激減している。創業100年以上の歴史を誇るアメリカの映像機器最大手、イーストマン・コダックが米連邦破産法11条の適用を申請した時、世界中に衝撃が走った。コダックのフィルムが無くなる……。

20歳から写真を撮り始め、その時からコダックのカラーポジ、モノクロのトライXフィルムを常用していた者にとっては、とても悲い出来事だった。幸い、屋久島の写真を撮り始めた時から、日本のフジフィルムを使っているため現在まで支障なく撮れている…が…。

作品の撮影は100%カラーポジフィルムを使う。デジタルカメラはほとんど使わない。デジタル一眼を使うのは、依頼された仕事で原稿素材を撮る時だけ。それと、日々更新している撮影雑観などは、HP用にコンパクトデジタルカメラを常用している。

カラーポジフィルムを使う場合、撮る対象物の「色」をそのまま出したいということにこだわるため、数種類のフィルムで撮り別けるが、「物」を見る目を鍛えるのはモノクロフィルムが自分には適している。だが、たまにデジタルカメラでモノクロ写真を撮っているものの、プリントした時、どうも違ったイメージで上ってしまう。なにかが違うのだ。

そのため最近は、中判カメラ(ちゅうばんカメラ)のペンタックス67{ろくなな・120、220のブローニーフィルム(1カットは名刺ぐらいの大きさ)}を復活させて、別のモノクロ作品も撮り始めた。=写真はデジタルモノクロ